柚香光という花男の異端児へ

柚香光はもちろん花男の鏡である。ファンと娘役をとことん愛で、その姿は時にこちらが恥ずかしく成る程の花男である(賛辞である)。

が、従来の花男とは一線を賀した所に彼女は今、踏み込もうとしているのではないかと私は思う。
かつての真矢ミキのように。

f:id:Luna_Artemis:20191011114845j:plain
花男、というキーワードを据えて話を進めていく。彼女はどうやら花男に対して、新たな回答を示してきたようなのだ。

彼女の最近の主演作が如何に彼女が正統派でありながら、異端児になる可能性を秘めているかを物語る。

はいからさんが通る』では眉目秀麗な陸軍少尉の伊集院忍を、『花より男子』では道明寺家の御曹司で俺様キャラの道明寺司を演じた。
美形で圧倒的センターのオーラを放つ役所である、という点では花男要素を兼ね備えているが、以前の花男が演じてきた役と違うのはやはり、はっきりとした原作の存在であろう。
そして原作を生き写すという点、これに尽きる。

正直、彼女による原作ありきの舞台化は、従来の舞台作品とは形成の仕方が違うように思える。

f:id:Luna_Artemis:20191023095600j:plainf:id:Luna_Artemis:20191121000712j:plain
覗き込むの間合いの取り方と瞳の動かし方に着目していただきたい。

彼女の演技は、男役としての過剰な演出の中にリアルな男性像すら存在させる。それは、私たちの周りにもいるのではないか、と錯覚させるほどである。
その理由は一重に、彼女の緩急の付け方が神がかっているからである。
ハーフで王子のような伊集院ならば、大振りな動きをベースとしてその中に細かくて性急な動きを取り入れる。俺様で不器用、実写のイメージも強い道明寺ならば、細かくて性急な動きを頼りとし、大切なところで大振りに。というような具合である。
彼女の緩急の付け方は非現実的で現実的な、男役と男を行ったり来たりすることを可能とするのである。これは彼女が身につけた努力の結晶だ。汗と涙がこれほどまで美しく昇華された例がほかにあるだろうか。

f:id:Luna_Artemis:20191121002813j:plain
努力の軌跡が見えるのに、威張る事をしない。言語化せずとも舞台でそれを見せてくれる。彼女はタカラジェンヌの鏡でもある。

男役として美しくあるには、実際の男性にはないような非現実的美しさを盛り込むことは必須事項だ。その固定観念を打ち砕くのが柚香光である、と私は考えている。その破壊は、良い意味で「クサい」花男を追求する者にとって痛みを伴う。それでも追求してほしい。破壊願望を彼女にゆだねてみたい。

花男序破急を一世代でやってしまうかもしれない彼女は、異端児でありながら革命児でもあるのだ。