宝塚をわざと忘れていた自分への懺悔みたいな話と花組「はいからさんが通る」感想

百億年ぶりにブログを更新しようと思った。

 

沸き起こる感情が止まらなかったから。さざ波を覆うような大波が起こったから。

まあ、書き始めの理由なんてどうでもいい!

 

だってほら、宝塚は我々の(主語がデカく見えるが、我々=ファン)文化の泉であり、心の泉だから。

kageki.hankyu.co.jp

 

https://kageki.hankyu.co.jp/revue/2020/haikarasangatooru/index.html

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全てが発光しているようだった。ので、しんどかった。幸せを忘れていたんだと、気づけて良かった

 

なんかめちゃくちゃ病んでいるような書き出しではあるが、普通に元気である。ただ、畳のい草が刺さったような違和感を感じながら生活していた。だから、何となく文化を蔑ろにして(そうするしかない人も少なからずいただろう)、「キラキラ」を忘れていた。半年も。しかも、わざと。

 

故意的な記憶喪失です。なーんでそんなまどろっこしいことしたんだ、と考えてみた。宝塚が、「キラキラ」しすぎていた。その輝きが冷たくなった現実と乖離しすぎていて、4月あたりに映像を見ながら思ってしまったことがある。

「ヤバい、今の自分がこのまま宝塚を見続けたら、私は現状を放棄して、思考を止めてしまう」

 

思考を止めないために、宝塚に縋らないために、私はラインを引いてしまった。

しかし、そのライン引きは間違いだったようで。

 

はいからさんが通る」を見た時、泣きはしなかったが、衝撃を受けた。それは、初めて宝塚を目の当たりにした時の衝撃とほとんど同じものだったのだ。

 

「脳汁弾けてる!思考なんていらん!この瞬間だけは、脳ミソ沸騰させてオペラグラスの悪魔になる!」

 

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これ。もうこれだけ。だから、「はいからさんが通る」は最高だし、花組は最高だし、宝塚は最高です。

「キラキラ」が貶められる時代になってはいないと思う。が、「キラキラ」を自ら捨てている人は少なからずいるように思える。私のようにわざとキラキラを忘れる、とかいう強硬策に走っている人もいるかもしれない。

 

「キラキラ」でお腹は満たされないし、流行り病の世界で苦しんでいる人っ子一人救えない無力な自分を救うことだってできない。お金だって、消えるばかりかも。

 

だけど、思い出してほしい。「キラキラ」は、美しく生きることに必要だと。一度摂取した「キラキラ」を忘れることなんて、凡人には不可能だと。

 

「キラキラ」を浴びて、劇薬に浸って生きていこう!

 

こんだけ語ったが、正直れいはなの周りにマイナスイオンが漂っていたことくらいしか感想がない。鈍器で殴られたような喜びだったので、しょうがない(?)