桜木みなとの中に蠢く(うごめく)もの

私は以前、芹香斗亜の色気を「彼女自身の最適解にほぼ値する陰のある、進化の過程を見せぬもの」と考察した。逆に、桜木みなとは良い意味で、男役としての進化の形相を見せてくれる。いや、自身の進化を「見せつけてくる」と言ったほうが良いのかもしれない。

近年、彼女は「私を見てくれ」と言わんばかりに舞台で主張してくるようになったと私は思う。

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「ずんちゃん」でも「ずん様」でもなく、それらから脱却した新しいFEVERみなと。最高だ。

まず、彼女は弟のようなかわいい後輩的存在であった。そして、優等生だった。

ゆえに、あてがわれる役もかわいらしい役や、いわゆる王子様のような役が多かったように思える。かわいい後輩的役を具体的に挙げるとすれば、『PHOENIX 宝塚!! —蘇る愛—』におけるリトル・チェリーという怪盗カナメール(凰稀かなめ)のかわいいお付き役や、『王妃の館 -Château de la Reine-』における戸川光男という桜井玲子(実咲凜音)のおっちょこちょいな部下役などがある。

 

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もちろん、「ずんちゃん」の真骨頂であることには変わりない。かわいすぎる

 また、王子様的役を挙げるとすれば、『Shakespeare 〜空に満つるは、尽きせぬ言の葉〜』のエセックス伯ロバート・デヴルー役や、『王家に捧ぐ歌』のメレルカ役などがある。

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どこまでもさわやかな王子だった。これも彼女の魅力の一つではある。

 

しかし、宙組公演『神々の土地』でゾバールを演じた桜木みなとはどうだろう。

ゾバールとしての桜木みなとは場面を追っていくごとに、段々と内にある沸々としたエネルギーを、魂の叫びを観客に投げつけているような気がした。強気であるのに、心の不安定さが見え隠れする。それがまた彼女の魅力を引き出している。

また、感情がむやみに暴発するのでなく、滲みでてきてしまうような演技に衝撃を受けた。セリフを発していない時の感情のうごめきの何たるや。

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ゾバールはどこまでも強くて、弱い。

この時初めてわたしは、桜木みなとの中に渦巻くエネルギーを感じた。これほどまでに彼女の煮え切らぬエネルギーは魅力的であったか。

 

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彼女がゾバールを巧みに演じたからこそ、我々はゾバールに思いを馳せることができたのではないか。

そして、極めつけは『オーシャンズ11』のテリー・ベネディクト役だろう。彼女にとってこれまでにない大役となったが、この役でまた彼女は一歩前進しただろう。
その前進の仕方が実に興味深い。彼女は成長過程を、時にもがく過程すらも見せてくれるようになったように思える。その人間臭さに、魅力を感じる。おそらく、今まではそうではなかったからであろう。

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一皮むけた桜木みなとを堪能できる。

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芹香斗亜も桜木みなとも陰のある色気を持つ、という点では同じである。が、決定的に違う点もある。

それは、芹香斗亜が全知全能であるかのような、常に相手に絶対零度を感じさせる色気である一方、桜木みなとは強さと弱さを併せ持ち、相手に渦巻く熱を感じさせる色気である、という点である。

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それぞれに良さがある。

桜木みなとは色気の主張の強さの中に、脆さがある。まだまだ彼女は未完成なのだ。

まだまだこんなものじゃないんだ、自分は、と舞台で叫ぶ強い眼差しと、未だ脆い部分から生まれる微笑みが同居する桜木みなとは今しか見れないかもしれない。

 

桜木みなとは、蠢く何かを抱えている。

優等生であるがゆえにそれを爆発させることは、彼女にとってリスキーな選択肢かもしれないが、爆発した場合もこれまた一興、ということなのではないか。